ママチャリ日本一周を決意した日

わぎ

自由をモットーに生きる、駄目人間系の大人。 夢を叶えるのに歳は関係ないと証明する為に2018年4月より「ママチャリで東日本一周」を完遂、翌年4月よりARAYAのフェデラルに乗って「西日本一周」をしております。 Twitterは変態さん以外にはキツいかも

それはいつからか習慣になっていた2018年の初詣

元々神社好きだった自分は沢山の神社を回った結果、落ち着いた人形町に存在する【小網神社】で有名な【繭みくじ】を引いていた。わりと運が悪く大概が「吉」だったり3年連続「凶」を引いたりするもんだから大して期待せずに引いたおみくじに書かれていた「大吉」の二文字。

自然と視線が動いた先にあったのは旅行

行くが吉

瞬間に電撃が走ったように一つの決意が胸に灯った
自分でも信じられない程に鮮明に明確に自分がこれから何をすべきか……どんどん頭に浮かんできたのだ!

「自転車で日本一周をしよう」

きっと昔からあったこの想い……。

目次

2010年8月の物語 ~人生初の自転車旅行~

仕事を転々としながらも生活が落ち着いて、居候していた親父の家から出て千葉県で一人暮らしをしていた。
始まりはとある職場で働いていた時に辞める理由を探していたらふっと湧いてきた一つの言い訳だった。
『ママチャリで日本一周するので仕事辞めます!』
それから次の職場もすぐに見つかり、不自由ない生活をしていた頃……以前の職場の先輩から連絡が入る。
「寮から出ることになってヤバいんだよね」
好きなタイプの人間だったし、二部屋あるし、家賃が安くすむならと同居をすすめて二人暮らしが始まった。
これが駄目な先輩で働きもせずに毎日パチンコ、スロットに行くか引きこもってパソコンを弄り続けるだけ。
家賃滞納も多々ある中なんとか仕事も安定してきた同居人の様子をみて自分はある挑戦をしてみたくなっていた。
……辞める理由で言ってみたけど面白そうだよね、日本一周!!
当時はネット回線も繋いでいない、携帯もガラケーで情報なんて全く入ってこない生活をしていたので、
自分なりに知識を振り絞って装備を整えたり道を模索したりとしていた。
当時の装備はママチャリ、寝袋、着替え、地図と今思うととても安易な装備でした
この前カゴと60Lのリュックを背負っての旅でした
装備を整え、貯蓄も15万円ほどして出発した2010年の8月。
家賃は毎月折半で振り込むから支払いだけ頼んでいざママチャリで出発。
基本は6号線をひたすら登るルートで進み、一番の山場は道を間違えて入ってしまった青森県は八甲田山!
ひたすら登りが続く道で飲み水が絶えてしまい、自販機で飲み物を買おうと財布をのぞき込むと事件が起きた!!
『 五千円札しか入ってない!!!! 』
自販機は基本的に千円札までにしか対応していなく、観光地も通り過ぎた道で商店などを期待することもできない。
漕ぎだすたびに攣る足をなんとか動かしてなんとかたどり着いたのは宿屋と山登りが始まる場所。
宿屋の電気は付いていたが入り口付近は暗くチキンだった自分はすでに真っ暗になった山道と尽きてしまった空のペットボトルに「ここで死ぬかもしれない」と本気で戦慄した。
乾く喉をなんとか堪えて、目に付いた小さな東屋に倒れ込みそのまま眠りにつく。
喉の渇きと生き物が草の中を動く音で熟睡は出来ない、人生で一番長い夜だった
日が昇りきる前に目が覚めて、わずかな希望を抱いて自分は自転車を押して坂道を再び進んだ。
すると1時間もしないうちに空が開けてきて、
八甲田山の山頂と思われる場所から朝日が昇ってきた!
あの景色はきっと一生忘れられないと思う……。
これは当時のコンデジで撮影した本物の景色
すでに周りには山菜採りと思われる車もちらほら見える中、山頂近いと安心して自転車を跨ぐ。
少し進むと温泉街に入りそこにあった湧き水を頂いて一気に活力を回復させました!
水のありがたさを心から感じた瞬間
そのまま青森市からフェリーで北海道に上陸して実家に起床した時、一本の電話が入った。
それは同居人からの連絡で要約するとこんなものだった。
「パチンコで金一切ないから家賃払えない」
大きな苛立ちと焦りを覚えて、自分はどうするべきかと深く考えた。
プラスでお金を振り込んで続行するか、それとも結局何回か同じ事を繰り返させられたら……。
実家に数日滞在しながら当時の自分が出した結論は
『日本一周を諦めて一度千葉に戻る』
そして一つの旅が終わった……。
その後も家賃滞納を繰り返した同居人。追い出して実家に連絡して滞納分は徴収しました。

2015年8月の物語 ~先駆者との出会いと二度目の旅~

その時も二人暮らしをしていた自分だったが、前回の旅から5年経っていても未だに日本一周を思い描いていた。
前回の失敗が喉に刺さった魚の骨のようにいつまで経っても取れなかった。
当時はパチンコ屋で勤務していたのだが、かなり意識高い系の職場で沢山の素晴らしい事を学ばせてもらっていた。
良い職場ついでにふっと店長に小言を言ってみたのが全ての始まり。
「店長、ちょっと自転車で旅行に行きたいから2週間とか休み貰えたりしません?」
「わぎ!! バイトってのはそうやって自由に時間を使うもんなんだよ!! 行ってこい!!」
そこまで親しく話すような仲ではなかったと思うのですが、凄い背中を押してもらいサクッと旅行に出る事を決意!
当時はスマホも普及していたのですが自分はガラケーのままでした。(旅に備えてiPhoneに変更)
ですが自宅にはネットが繋がっており、様々な情報を検索して万全な観光自転車旅行に備える事が出来ました。
その時、自分は運命的な出会いをしてしまったのです。
たまたまニコニコ動画で自転車旅行について調べていた時に出会った動画……。
素晴らしい日本一周動画なので皆様も是非見てみてはいかがですか? しかし残念ながら未完
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それは自分が今までに想像していた自転車旅行とは全くかけ離れたものでした。
動画の端々から伝わってくる「わくわく感」「楽しさ」は見ているだけでこちらの心まで弾む。
トラブルさえも面白おかしくしてしまう、その心の強さと全てを楽しんでやる精神。
まるで取り憑かれたように何度も、何度も繰り返し動画を視聴してました。
同時にスッと胸の中でずっと引っかかっていた前回の旅の挫折をしてしまったという後悔のような痛みが消えていました。
そんな不の感情を抱いたまま行く旅を自分はしたくない!!
ニートジョンさんみたいに全力で楽しむ旅にしてやる!!!!
そして迎えた二度目の自転車旅はひたすら楽しむ事だけを追求したものになりました。
当時のフル装備一覧(ぼけぼけ)
基本は千葉から1号線を南下していくルートで神戸までの2週間の旅。
新規の装備はマットくらいでほとんど使い回しや小物が増えた程度でしたが、何も不安はありません。
箱根で豪雨に遭遇して死にかけるも、旅館に駆け込みなんと一件目で宿泊させて貰えたり。
浜名湖では有名な鰻屋で6000円のうな重を食し。
ニートジョンさんをリスペクトして、当時コンデジランキング上位だった「SIGMA dp2Quattro」を購入して写真にも本格的にチャレンジしていました。
SNSを使用した人との出会いにも触れられて、本当に旅の素晴らしさを肌で感じた旅でした。
目標としていた1500kmには及びませんでしたが、楽しさで言うならば人生でもトップクラスの体験でした!

2度目のママチャリ旅から3年後の決意

冒頭に戻りますが、こんな経験をしてきておりきっと胸の奥で10年近くも思っていたんだと思います。
自転車での日本一周をしたいと。
今まで中途半端に生きてきた自分との決別
人生における大きな転機
何か見つけられるかも
沢山の想いが重なって、ふっとおみくじで大吉を引いた時に爆発しちゃったんだとおもいます。
今までは「未知の挑戦」を越えて、「楽しい自転車旅」とやってきました。
ならば次は自分もニートジョンさんみたいに何かを与えられる存在になりたい!
そう考えたら一つの考えが脳裏をよぎりました。
自分もそうでしたが、日本一周は時間もお金もかかる一大決心が必要なものです。
時間は旅だけではなく貯金などの時間も考えると膨大なものになります。
今、自分は旅に、いますぐに出たい!!!!
【4ヶ月でゆく、自転車で日本一周】
これだ!!
これしかない!!
そうして始まった自分で言うのもアレですが、鬼畜というか、行き当たりばったりというか……。
しかしわくわくが止まらない旅の準備が始まったのです。
次回に続く

-日本一周準備